「たたさまの吉澤暁子先生を想う帯 吉澤先生と一緒!」の全景を載せておきます。
吉澤暁子さんを表すロイヤルブルー、まわりをたたさまや着物仲間の方々を表すイエローやグリーンが楽しげに囲みます。吉澤さんのロイヤルブルーはおタイコから前帯までスクッと貫き、みんなと楽しく語らったり、励ましたりしてくださったり。きっと守ってもくださるでしょう。
たたさま、早速ご自身のインスタグラムに、この帯のことを書いてくださっています。吉澤暁子先生との思い出など、ほろりとします。このような大事な帯を織らせていただき、感謝しかありません。
たたさまのご了解を得て、一部抜粋でご紹介させていただきます。
「この帯は何だか私一人だけのものじゃない気がしていて、ずっと一緒に頑張って来た岡山教室のみんなの前で受け取りたいと大久保先生にお願いをしていました。」
「ずっと以前に美しいキモノに掲載されていた吉田さんの帯に心を撃ち抜かれ、いつの日かご縁がいただけたらいいなと、心の中でそっと願っていました。」
「2022年に吉澤先生の主宰されるサロン・ド・ラソワで吉田さんの個展をされるとお聞きし、地区の婦人会の会合と同じ日で行きたいけど行けないとお伝えすると、吉澤先生が、高田さんこんな機会は無いからzoomで参加したら?と言って下さり、(中略)
楽しくお話しさせていただき、思い切って一番最後でいいのでと帯をお願いすることにしました。ちょうど結婚30年になる年が少し先に控えていて、その記念にしようと思って。」
「先生は本当に繊細な方でした。すごくパワフルな方でしたが、それとは裏腹に私達生徒に駅まで迎えに来させてしまう事、送らせる事にも、ものすごく気を遣う方で、(後略)」
「帰りのホームに入られるといつも、たたさんは遠いんだから早よ帰り!!とおっしゃって、私ははーいと返事をして、いつも先生から見えない場所で、先生が駅員さんに車椅子を押して行かれるのを見ていました。」
「最後にレッスンに来られた日も、車椅子でじっと駅員さんを待たれていました。そしてやっと駅員さんに車椅子を押してもらって見えなくなった背中が、今も目に焼きついて離れません。」
「本当に最後の方のレッスンは、いつもニコニコと笑って女神様の様でした。」
「強くて美しくて繊細な、とても素敵な師匠でした。いつも矢面に立つ、そう決められていた人でした。」
「今日は、その素敵な師匠からご縁をいただいた、ずっと続く素敵な帯が届いた日でした。本当にありがとうございました。」
たたさまの帯、ずいぶん前に仕上げっていたのですが、本日、お手元に届けることができました。
たたさまにいの一番にご覧入れたくて、仕上げの様子などもここにアップするのを控えていました。
帯のタイトルは「吉澤先生と一緒!」。この帯は、まさにそういう帯なのです。
感激していただけたようで、よかった。
上にあげたのは、織り上がって、蒸しと湯のしに出し、戻ってきて、最終の検反をしているところの動画です。
この作業は祈りの時間としか言いようがありません。丁寧に気持ちを鎮めて、心を込めて、小さい糸屑も見逃さず、少しずつ少しずつ進んでいきます。全てが終わりましたら、反物を固くしっかりと巻いて、紙に包み、箱に収めます。そして、帯の仕様書と心を込めてお手紙を書きます。
これが、私のできる全てです。この後はもうたたさまにお任せするしかありません。どうかよろしくお願いしますと願いを込めながら淡々と作業していきます。
完全注文制作ONLY ONLY、たたさまの帯、とうとう織りに辿り着きました。
今回は経糸と緯糸を、あえて同じにしました。今回は糸がとっても面白いので、その良さを出すには、同じにしようという判断です。バランスを見て変える時もあるのですが、今回は全てが同じです。直球勝負なのも、吉澤さんとたたさまのイメージです。
その糸を、小管に巻いて、杼にセットして、準備万端。姿勢をただし、同じ力で打ち込みを重ねていきます。
ただただ、淡々と。
完全注文制作ONLY ONLY、たたさまの八寸帯、デザインが決まりましたので、実物大の図面に落とし込んでいきます。織り縮み率を何%で計算するのかが考え所です。
染料も本番用に整えます。今回は悩みに悩んで、結局、ロイヤルブルー、レモンイエロー、エメラルドグリーン、イエローグリーン、ビリジアン、ライトグレーの6色にしました。全てがキリッと冴え渡るような、吉澤カラーです。
ここまできたら、後はもうやるしかない。いよいよ本番。計算して出た場所の経糸に、染料を含ませた筆や刷毛を下ろして染めていきます。
まずは、キーカラーのロイヤルブルーから。
たたさまが吉澤さんのお別れ会でもらわれたリボンの色です。この色が、おタイコから前帯部分までスックと貫きます。
そしてロイヤルブルーの周りを、吟味した色たちが楽しげに囲みます。
ブラッシングカラーズが終わって、しっかり乾いたら、巻き取ります。テンションを揃えてしっかり固く巻いていくのがミソです。
完全注文制作ONLY ONLY、たたさまの帯、そろそろデザインを詰める時となりました。
まずはスケッチ。
今までに色々お話ししたことを反芻しながら、自由に描いていきます。私の過去作品で一番お好きだとおっしゃってくださったのの発展系や、吉澤さんをイメージしたカラーでまとめたもの、太子間道がお好きとおっしゃっていたのでそのイメージのもの。
なんでも自由に。可能性はどんどん広げようと思って。
それをたたさまにお見せしたら、速攻でお返事が来て、「吉澤先生のイメージのもので」とおっしゃいました。
では、吉澤さんが求めてくださった帯の色を再現してみよう。(吉澤さん、この帯を求めてくださいました。→⭐︎)
パソコン上で、吉澤カラー、白地ベース、たたさまがお好きなデザインで、色々やってみます。プリントアウトして、帯の形にしてみます。
うーん、もう一歩なんだよなあ、吉澤さんに辿り着かない。
ふと、我が家の壁に目が行きました。青い細めのリボンをひと結びして留めて飾っています。
これ、吉澤さんのお別れ会の時に、参加者に色別で配られてみんなが身につけていたのです。吉澤さんのお好きな色ばかり。リボンを身につけると言うのも着付けの先生らしく。吉澤さんを支えてこられた近しい方々のお心配りにもジーンとしたのでした。
私は濃い青色をいただき、お別れ会が終わっても手首に結んだまま新幹線に乗って、帰り着いてうちの壁に飾ったのでした。
たたさまはどうしていらっしゃるかな?
早速お尋ねすると、車のミラーに結んでいるとのこと。やはり身近に、大事にされてたんですね。お色は紫がかった青だそう。ロイヤルブルーといってもいいかも。吉澤さんドンピシャのお色です。
これだな、吉澤さんを想う帯にふさわしいモチーフは。このリボンをデザインの核にしよう。
今も吉澤さんと繋がっている。吉澤さんが作らせてくださる。
さらに色の調合を重ねて、試し織りをしてみました。
たたさまのONLY ONLY、経糸(たていと)の準備をしています。
整経から機(はた)に掛けるまでは、地道な作業の積み重ねです。
今回使った糸は、節や毛羽が多い面白みのある暴れん坊の糸です。こんな糸、手織りでもなかなか扱えないぞ。
無謀と思えることでも、一つ一つを丁寧にこなすことで、想定を超えた織物ができると思っています。
今回使っている糸は一種類なのですが、重さを測って太さに分けて木枠に巻き、整経の時は、太い糸同士、細い糸同士が並ばないように配置しています。全体的に整った印象になるし、小さなリズムになる。
こんなことは布になってしまえば分からないのですが、きっと、たたさまと吉澤さんは感じてくれるのではないかなって思っています。
「ヨシダさんが思う、吉澤先生を織ってほしい。」
難題ですが、たたさまのお気持ち、シカと受け止めます。
吉澤さんは抜群のセンスで、なんでもカッコよく着こなす方でした。「吉澤カラー」というのもお有りでした。
初めは、色から考えこんなものもいいなと、突っ走って試し織りまで行きましたが、ちょっと違ったみたい。
3人でズームで話したことをひとつひとつ反芻して、そうだ、今回、白地にしようと思いました。白地のものはあまり持っていないとおっしゃっていたので。
「なんで、白地を避けてきたかというと、着物や帯は、綺麗に着て、次の方に受け継いでもらうものと思っているから、白は汚れてそれができなくなる。でも、最近、大事にすれば白もいいなと思うようになってきた。やっと白を締める責任感を持てたように感じるというか、、、」と。
さすが、着物を広める立場の方です。
たたさまもすごいけど、たたさまが師匠と仰ぐ吉澤さんもすごい。愛情が受け継がれているなあ。
よし、今回、たたさまに、白地に吉澤さんカラーが飛ぶ帯をお作りしたい。糸の準備とデザインを並行して進めよう。
今回は群馬県の碓氷製糸さんから低張力で引き出した糸を取り寄せることにしました。使い辛く一筋縄ではいかない糸ですが、味があって面白みがあります。
動画で、糸の下準備をしているところ、ご覧ください。
さて、新しい物語のスタートさせるといたしましょう。
今回のヒロインはたたさまです。
たたさまと初めてお会いしたのは、2022年に京都のラソワさんで開催していただいた「吉田美保子展 ボンジュール」の会場で繋がったズームの画面越しでした。
ラソワ主宰の吉澤暁子さんと3人で、楽しく、ONLY ONLYのご相談をさせていただいたのです。
たたさまは、着物歴も長く、知識も経験も豊富で、あふれる着物愛が伝わってきました。
吉澤さんの着付けのお弟子さんですが、ご自身でも着付け教室を主宰され(この時は準備中でしたが)、たくさんの人に愛されるお人柄が伝わってきました。
吉澤さんもたたさまのことを「軸がしっかりしていて正くて強い人。」と評されてました。
基本的に任せていただけるとのことで、「ヨシダさんが思う、私に似合う帯を作ってほしい」とのこと、それは、自分で好みを言うと似た感じばかりになるからという理由でした。
急がないという言葉にゆっくり目に計画させていただくことにしました。
それからたった一年と数ヶ月後、、、、
なんたることか、、、、、青天の霹靂とでもいうのでしょうか、吉澤さんが逝去されてしまうという、まさに青空が落っこちてきてしまうようなことが起こりました。
たたさまも大変なお悲しみようで、すぐに連絡をくださり、このONLY ONLYを、
「ヨシダさんが思う吉澤先生を表現する帯に変更してほしい。そして私はこの帯を吉澤先生と思って、着物を着れる限り大切に大切に締め続けたい」とおっしゃいました。
それで、計画を変更して、私にとっての吉澤さんを探る旅に出ることになりました。